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2015年5月31日 (日)

カラビニエ 〜 レプリカント、あるいはあすなろ小僧 之 旅 4 日本國有鐵道 因美線 美作加茂驛(JR 因美線 美作加茂駅)

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 (前回よりのつづき)
 前回、妖怪あすなろ小僧さんのことに触れたおりに、「妖怪あすなろ小僧というヒト」という表現をいたしましたので、もしかしたら中にはヒトじゃないじゃん!とつっこまれたかたがいらっしゃるかもしれません。
 駄菓子菓子、自分がヒトではないことを自覚しそれでもなおかつヒトでありたいと願ったあすなろ小僧は、私を含め無意識無自覚に生きるヒトよりも人らしいのではないか?
その行為はあたかも地獄の餓鬼亡者の中でいちはやく一本の蜘蛛の糸に気付き懸命に登らんとしたようなものであり、それこそがこの世に生きることの意味なのではないかなどと支離滅裂な思考などいたしております。

 「妖怪人間ベム」におきましてもその姿形、存在そのものの異質さから人間から疎外され続けた妖怪人間は、それでもなおかつ人間に憧れ早く人間になりたいと、最後まで人間のために人間に害をなす妖怪変化悪霊怨霊の類いと戦い続け、どれほど罵詈雑言を浴びせられ、時には暴力にまで訴え排斥されようと、人間に対しては人としての筋を通し続けたように記憶しております。
 今になって妖怪人間たちの歩いた道筋は、あたかも菩薩行のようなものではなかったかなどと思い至ります。
 嗚呼、やはり脳内に於きまして菅原文太さんの声色で「人間とはいったい何なんだろうねぇ」という文言が繰り返し再生されます。

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美作加茂駅

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美作加茂駅

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美作加茂駅

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美作加茂駅

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美作加茂駅

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美作加茂駅

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美作加茂駅

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美作加茂駅


 日本國有鐵道 因美線 美作加茂驛(JR 因美線 美作加茂駅)です。
因美線の駅をいろいろおとずれておりましたが、この駅だけは避けてまいりました。
理由は横溝正史さんの「八つ墓村」の元となった戦前の大量殺人事件の最も近い駅がこちらであり、恐らく犯人の都井睦雄は神戸だったか大阪だったかに猟銃など買い付けに行く際にこの駅を利用したと考えられるからであり、かつまた私が自分の前世はこの都井睦雄なのではないかとの妄想に取り憑かれているからでもあります。
 しかしこの前の道行きにおきまして偶然に都井睦雄の生家を発見してしまい、ならばもうよいかと思い至りやってまいりました。

 かつての苫田郡加茂町の中心の駅ですが、思っていたよりもずっとこじんまりと鄙びたといっていい場所にありました。

 こちらでひとりの上品なお婆さんと話などいたし、病院に行った帰りであることや、息子さんは津山市の自動車教習所の教官で休みの日にはハーレー&デイビッドソンの単車になど打ち跨がりツーリングに出かけられることなど、言っては何ですがどうでもいい話を聞かせていただいて、嗚呼、松竹映画版「八つ墓村」に出てきた小梅さん小竹さんの双子の老婆の台詞回しは、このあたりの方言をかなり正確に再現したものであったのだなぁ、などと考えておりました。

 ですが話し込むうちに昔の話など聞かせていただき、背筋を伸ばし襟を正したいような心持ちになり、実際にそういたしました。

 お婆さんは近くの阿波村というところのご出身だそうですが、学校を出られたころにはすでに日中戦争は始まっており太平洋戦争の前夜くらいで、すぐに報国隊(たしか報国隊と言われたと思いますがもしかしたら挺身隊だったかもしれません)で岡山県玉野市に軍服の製造に出られたそうです。
 なるほど私らが中高校生の頃に来ていた学生服はすべて岡山県下のブランドでしたが、それには軍服の製造から連なるこういう歴史があったのかと得心いたしました。
 報国隊での軍服の製造は全くもってつらい仕事であったそうですが、それでも年期が明け再び阿波村に帰ってきた頃には太平洋戦争が始まっており、すぐに因美線の那岐駅(鳥取県八頭郡智頭町)での奉仕に駆り出されたのだそうです。
 教科書などでは戦時中に男子はすべからく戦地へ駆り出されたため、電車やバスの車掌さんなどに若い女性が採用されたことなどは知っておりましたが、こうして生で実際の体験をお聞きするのは初めてでした。

 当時の那岐駅では男性8人女性8人が勤務しておられたそうですが、やがて戦争が終わってから、来る列車来る列車復員の兵隊さんらで満杯だったそうですが、目を覆いたくなるような大怪我などされた方も多く、この頃の勤務が非常に怖くて辛かったと言っておられました。
 そう遠くない境港へ、大陸より引き上げてこられた方々が多かったのかもしれません。

 那岐駅での仕事を辞められてから結婚されたそうですが、ご主人は士官候補生で航空の方で外地に行かれましたが、マラリアに罹患し1年ほど静養された後でこの方と結婚されたそうです。
 戦時中のご主人の消息についてはあまりよくご存知ではないようでしたが、おそらくは海軍の航空隊で南方へ行かれたのではないでしょうか。
 できることならご主人のお話もお伺いしたいものです。

 この方が戦時中から戦後に勤務された日本國有鐵道 因美線 那岐驛(JR 因美線 那岐駅)へ行って、写真など撮影後にお送りすることを約束してお別れしました。

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