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2011年9月

2011年9月30日 (金)

八つ墓村、遠きにありて思うもの ・ あっ、ここは丑三つの村ではないか。第四集

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 木之本地蔵尊さまの境内で縮尺13万分の1の道路地図を重々吟味評定いたし確信を持って走り出しましたが、 どうも国境に当たりますらしい隧道(トンネル)を抜けますと「岐阜県」の表示があり愕然といたしました。
 織田信長公が清洲から稲葉山に移られた時に、周の文王が挙兵された「岐山」と孔子の生誕地の「曲阜」から一文字ずつとって命名された「岐阜」ですが、今回はどう考えても行き過ぎです。

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 旅館「夜叉姫の館」さまです。なんとなく淫靡な響きに思えてしまうのはそう思う私のココロが愛欲と淫蕩に溺れ爛れきっておるからでございましょう。
 昔この一帯が旱魃に見舞われた時にとある娘さんが自分が龍神に嫁入りすることで、アフリカに降る恵みの雨のように、というのはTOTOの「アフリカ」の歌詞ですがとにかく雨が降ったのだそうです。
 その娘さんが龍神となって棲んでおられるのが「夜叉ケ池」だそうです。

 菊地秀行さんの魔界都市新宿シリーズに「夜叉姫伝」というのがあってずいぶん長い小説だった記憶があります。
 中国から傾城傾国的なむっちゃ妖艶なおねいさんの妖怪的なヒトたちが来て、妖怪大戦争的に日本のいろいろと妖しいヒトたちと闘うのですが、中盤からぐだぐだだった印象があります。結局双方に犠牲者を出して夜叉姫さんたちは中国に帰っていき、超絶イケメンの主人公秋せつらが「来なきゃよかったのに」と言うのですが、読んでる方からすれば「書かなきゃよかったのに」と思いました。

2011年9月29日 (木)

八つ墓村、遠きにありて思うもの ・ あっ、ここは丑三つの村ではないか。第三集

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 道に迷いますのは頭の中で地図と現実の世界とをうまく照会する能力が明らかに劣化していることもありますが、3桁国道の案内はあまりにも不親切なこともあると思います。
 木之本地蔵尊さまの前を通りかかりましたのでお参りさせていただくことにいたします。
 「一切随縁、南無阿弥陀仏(い〜ちえすいゆえん、なんう〜、あ〜み〜とぅおふぉ〜、みたいな発音です)」などと唱えながら入山させていただくと、ご住職や修行僧の方に「こやつ、できる・・・」と思わせることができます、というのはうそですが、カンフー映画で少林寺のお坊さんなどが「一切随縁、南無阿弥陀仏」と言ってたりするので聞き取ってみましょう。

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 身代わりかえるさま。参拝者の方の目がよくなりますようにと自分の片目をつぶっておられます。

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 地蔵菩薩さまは日本では子供や旅人の味方であるとされています。お釈迦さまが亡くなってから弥勒菩薩さまがやってこられるまでの五十六億七千万年の間、六道輪廻の一切衆生をお救いくださいます。

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 賤ヶ岳の戦のときにはこちらに豊臣秀吉公の本陣がおかれたそうです。賤ヶ岳は目と鼻の先です。

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 おぉ、こちらも恐れ多くも陛下のお寄りになられたところであらせられました。
仏教関連施設をおいとまする際には「無事不登三宝殿(う〜し〜ぷ〜どんさんぱおでん、みたいな発音、困った時の神頼みの意)」などと唱えながら下山させていただくと、ご住職や修行僧の方に「こやつ、できる・・・」と思わせることができます、ということはまったくありません。

八つ墓村、遠きにありて思うもの ・ あっ、ここは丑三つの村ではないか。續集

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 滋賀県さんはお隣さんだと気軽に出かけてきましたが、目的地の長浜市余呉町さまはうちんちらへんからだと京都府を横断したのちに、福井県嶺南地方をも横断したのちに琵琶湖の反対側に回り込むような形で、距離的に岡山県津山市まで行くのに等しいことが帰宅後判明いたします。

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 敦賀より国道8号線で南下してきたところで休憩しております。

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 中華そば「福松」さまのお若ぇ衆がたまたま出てこられましたので、「ここは何処ですか」と少々間抜けな質問をいたしましたが、ここは琵琶湖のちょうどてっぺんあたりに当たることと余呉町への道のりを教えていただきました。あの時はたいへんありがとうございました。
 中華そば「福松」さま、開店時間の前であったことが惜しまれます。

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 中華そば「福松」のちょっとかっちょいいお若ぇ衆に道のりを教えていただいた上に「良い旅を」と、GOD SPEEDで一路順風で武運長久のお言葉までいただいたのに関わらずまた道に迷っております。
 ちょっとムーミン谷ちっくなお家の前で地図を確認させていただきました。

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 ムーミン谷ちっくなお家の隣のお寺さんです。

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 恐れ多くも陛下のお寄りになったところであらせられました。
柳ヶ瀬というところであることも判明いたしました。萌えキャラ?「やなな」がいる柳ヶ瀬は別のところのようです。
 後で調べてみると木之本から敦賀までかつて国鉄柳ヶ瀬線というのが走っていたそうです。少し先に信号があって交互通行のトンネルがありましたがあれが柳ヶ瀬トンネルの跡を県道に転用したものだったのでしょうか。また行って確認してみたいものです。
 実のところ道に迷うことが楽しくなっております。

庭木の緑と郵便ポストの赤が良いです。

2011年9月27日 (火)

八つ墓村、遠きにありて思うもの ・ あっ、ここは丑三つの村ではないか。

 1977年の松竹映画「八つ墓村」を観て、古尾谷雅人さんの主演で田中美佐子さんがヒロインの「丑三つの村」を観た人は、その舞台となっている村落を見て「あっ、ここは八つ墓の村ではないか。」と思います。 元ネタはつげ義春「ねじ式」の「あっ、ここはもとの村ではないか。」という台詞ですが、いささか知ったかぶりで嫌らしいのではないかと反省もしております。
 「八つ墓村」の32人殺しのシーンで、多治見要蔵が猟銃と日本刀を手に駆け抜ける村落が「丑三つの村」でも物語の舞台として全篇において登場します。
 横溝正史さんの原作による「八つ墓村」は戦時中に岡山県に疎開されていた氏が防犯博覧会だったかでご覧になられた昭和13年の津山事件の資料に衝撃を受けて創作された小説ですが、西村望さん原作の「丑三つの村」は事件そのものを小説化しています。岩井志麻子さんの「夜哭きの森」も同じ事件を題材にしたものですね。

 小川に何本も橋が架けられて茅葺き屋根の特徴的な日本家屋が軒を並べる村落がたいへんに印象に残りますが、この場面のロケは岡山県を遠くはなれて滋賀県で行われたことを知り、なんだ、お隣の県ではないかと思い出立することといたしました。

 「八つ墓村」多治見要蔵の32人殺しのシーンです。後半は別の「八つ墓村」ですが、これにより監督・野村芳太郎、音楽・芥川也寸志、多治見要蔵・山崎努、被害者・丹古母鬼馬二他の1977年「八つ墓村」がいかに神であるかよくわかります。
 桜の咲く季節の岡山県北部地方で丹古母鬼馬二夫妻はいささか薄着に過ぎるのではないかという疑問の他に、岸部一徳バージョンでは頭にくくりつけた懐中電灯の意味がないのではないかという疑問もわいてきます。

 「丑三つの村」予告編です。津山事件の際、犯人の青年はこのように頭に懐中電灯をくくりつけていたようです。

2011年9月26日 (月)

さらば恨MICHELIN SIRAC(ミシュラン シラック)〜單車国粋主義の台頭 ・ 續集

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 平安京西大路五条のあたりでDR-Z400Sのタイヤ交換をしていただき、自動車教習所で京都モーターサイクルショーをひやかした後、そのまま山陰道(国道9号線)を下るのもオモムキの無かりければ、すこしまわりみちをいたして国鉄山陰本線日吉駅にてしばしの憩いをとらせていただきました。
 飯島直子さんが横浜市港北区の日吉台中(日吉台西中?)のJC(女子中学生)であらせられた頃に、それとは知る由もなく私も東急東横線日吉駅界隈にすんでおりました。NHKの旅番組に笑福亭鶴瓶師匠のゲストとして出演なさっていた飯島直子さんが今でも変わらずお美しいので、せめてものよすがにこちらの日吉駅に寄らせていただきました。
 東急東横線の日吉駅と国鉄山陰本線の日吉駅ではおそらく乗降客数の桁がふたつかみっつくらい違うかと思われます。しかし横浜の日吉は中央通りを歩いていると歩道があるうちはいいのですが、歩道が終わると人様が歩いているほんのすぐ脇を車が翳めるように走っていくのが田舎生まれ演歌育ちシッポのある奴は大体ともだちな私にはおっかなかったです。

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 駅舎はなんだかつまらない建物に建て替わってしまいましたが、プラットホームはいい感じです。このグループの人たちに京都まで行くにはこの電車で終点の園部まで行ってそこで乗り換える由、教えてあげました。

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 下り電車もやってきました。

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 国鉄時代には対向の各駅停車を待って、後から来た急行列車に追い越されて、さらに対向の特急列車が通過するのを待った後にようやく発車、みたいなことがよくありましたが最近はそこまでヒドいダイヤはあまり無いような気がします。単線区間の悲しさでしたが、それなりに風情があったといえなくもないかもしれません。

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 南丹市営バス時刻表です。
 東急東横線日吉駅は東急バス下田住宅行きでした。いつも駅まで歩いておりましたが、ある日を境にそれが出来なくなって東急バスを利用しておりましたが、今にして思うと歩けなくなっていた時期は鬱状態に陥っていたのでございましょう。

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 国鉄山陰本線日吉駅駅前です。タクシーのご用命は谷タクシーへどうぞ。宝石専門店はジュエリーパリスです。ジュエリーパリスさまの住所はなんとかチロリン村と書いてありますがiPhoneのカメラの解像力が悪くて良く読めません。現地でよく確認しなかったことを若干後悔しております。

2011年9月24日 (土)

さらば恨MICHELIN SIRAC(ミシュラン シラック)〜單車国粋主義の台頭

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 時に2011年9月18日のことでございますが、DR-Z400Sの前後タイヤが寿命を迎えましたので、平安京西大路五条近くのお店で交換していただきました。
 小野不由美さんの「東京異聞」はたいへん意趣にとんだ小説でございまして、京都は既に天皇家の呪術をもってしても怨霊を押さえきれなくなったために天皇は東京に移ったのだ、というような台詞がございましたが、このタイヤ屋さんもおトイレには作法に則って塩がもってありました。

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 MICHELIN SIRAC(ミシュラン シラック)の耐久性についてこれまずっと、フロントが約7,000km、リアが約3,500kmと申しておりましたが、今回はフロント8.075km、リアが4,824kmもっております。今回は3度にわたる八つ墓村アタックツーリングで、とことこ走ることが多かったために寿命が延びたのだと思います。
 MICHELIN SIRAC(ミシュラン シラック)は商品のコンセプトがよろしいですね。
ブリヂストンにしろダンロップにしろオフ車用のタイヤはOFF向け - ON/OFF中間 - ON向けの3つの中から選べるようにラインナップされていますが、私の場合はON/OFF中間とON向けのどちらにするかで激しく迷いますが、そこのところに隙間産業的にぴったりと当てはまるのがMICHELIN SIRAC(ミシュラン シラック)でした。
 ダメなところといたしましては雨の日の峠道で意外なほどグリップが悪かったことと、仕上げが日本製品ほどは良くなくてゴムのつなぎ目丸出しなところぐらいでしょうか。

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 今回はブリヂストンのTW301/TW302を装着していただきました。MICHELIN SIRAC(ミシュラン シラック)製造国のタイの皆様には感謝しながら、單車国粋主義者として国産製品を選ばせていただきました。
 MICHELIN SIRAC(ミシュラン シラック)と同じ調子で峠道を走ったりすると危ないでしょうが、そのぶん未舗装路なんかを楽しめば良いです。

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 帰りには八条通りまで下りまして京都モーターサイクルショーというのを観てきましたが、この日は熱くて脱水症状になりそうでした。もとより先立つものはございませんがGSX-RだとかV-MAXだとかのかっちょいい單車にまたがらせていただきました。私は会場となったニュードライバー教習所で大型二輪免許をとりましたが、大型二輪に関してはペーパードライバーのまま年内に免許所の更新となってしまいまいた。
 来年3月に東京モーターサイクルショーだそうですが、かっちょいい單車がでてくるとよいですね。

2011年9月23日 (金)

八つ墓村遥かなり ・ たいやよ、あれが八つ墓村の灯だ。完結編

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 私は旅先でその土地の食べ物をいただく、と言ったようなことに関して全く興味がございませんので、よく森永製菓製造のミルクキャラメルのみで丸一日しのぐことがございます。
 先日寄らせていただいた業務スーパー堀店(京都府福知山市字堀小字今岡2641)さまには、ノーマルのミルクキャラメルが置いてなくて詮方なしに杏仁キャラメルをいただいております・・・まず(泣)。

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 せんたくばさみはとても便利ですがたまに通行券が飛んでいってしまうのが難点です。
 帰路の中国自動車道津山インター付近でまたもや通り雨に降られました。
八つ墓村の系譜をたどる今度の道行きで2往復、つごう4回津山市を通らせていただいてそのうち3回まで夕立に降られています。全行程で津山市近辺でのみ降られました。どうも私は津山市近辺に近寄っては行けないのではないかという気がしてきました。
 8月28日夕刻、中国自動車道津山市近辺の高速バスの停留所で合羽を着込んでおられたライダーの皆さん、あの時の雨は私のせいです、すみませんでしたごめんなさい。ちなみに私は合羽や蓑笠などの雨具は一切持ち合わせておりませんでしたのでそのまま走り続けました。

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 家に帰り着いて走行距離は555.1kmでした。ご近所をひとまわりしてぞろ目にしたいところです。

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 家に帰って柴犬にただいまというまでがツーリングです。

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 お散歩に連れて行ってもらえなかったことに対して、「八つ墓村」における落ち武者・尼子義孝(夏八木勲)のさらし首の場面を再現して遺憾の意を表明しています。ごめんなさい。意外とせくしーな私のおみ足ですが気分を害した方がおられたらなにとぞお平に。

八つ墓村遥かなり ・ たいやよ、あれが八つ墓村の灯だ。第八集

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 八つ墓村の系譜をたどる旅も大詰めとなりました。
 吹矢ふるさと村の近くにあります吹屋小学校さまです。
 残念ながら「八つ墓村」の工藤校長の勤務されていた小学校ではありません。工藤校長だけが寺田辰弥さんのほんとうのお父さんを知っておられました。工藤校長(下條正巳)や井川丑松(加藤嘉)さんのような善良を絵に描いたような人がさしたる意味も無く殺されてしまうのが「八つ墓村」の怖いところです。

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 昭和31・33・35年度なわとび優良校です。
 吹屋小学校は現在使用されている木造校舎としては日本一古いものなのだそうです。
 私の通った高校も、ここまで意匠を凝らした作りでこそなかったものの木造校舎でした。在学中に鉄筋コンクリートに建て替わってしまいましたが。ここ10年ほどでなんだかものすごい進学校に改革されたようなのですが、学生さんたちを観ていてヒトのさいわいとは何なんだろうねぇ〜と思うこともあります。

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 プール開放は8月1日(月)〜14日(日)までです。
吹屋小学校さまは今年度で閉校となってしまうようなので、プールは役目を終えたのかも知れません。
 2ちゃんねるバイク板に「ツーリング時、女性用スク水を中に着る人がいるって本当ですか?」というスレタイが立ったのを知っている私は穢れております。

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 坊んやお嬢のがんぜないお子たちの学び舎です。
夏休みで誰もいないとはいえ(植木屋さんだけが仕事をされていました)、また本年度で閉ざされるとはいえ、それでもお子たちの夢や希望と言ったものが感じられるようです。

2011年9月21日 (水)

八つ墓村遥かなり ・ たいやよ、あれが八つ墓村の灯だ。第七集

 八つ墓村におきまして東屋(ひがしや)と呼ばれております多治見家を後にいたしまして、ほど近い吹屋ふるさと村も通りました。『旧街道沿いに、ベンガラ格子に赤銅色の石州瓦、妻入の切妻型、平入型式等が印象的な風情たたずむ商家・町屋が立ち並んでいます。』とありますように他では見られない見事な街並でございましたが、いかんせん完全に観光地となっておりまして、むくつけきおやじひとりではこっぱずかしさが満ちあふれてきて素通りいたしました。
 吉田戦車さんの「タイヤ」という漫画だったと思うのですが、ツーリングの行き先を相談している時にぶるぶるふるえながら「清里とか白馬とかのいかにもなところは絶対いやだ。春日部とか三郷とかどうしてこんなところに来たのかわからないところがいい。(地名に関しては記憶が曖昧です)」という人がいましたが、私も本当に同意出来ます。

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 観光地からはなれたところにも、もしかしたらそれ以上に風情のあるところがありましたです。
 車で来られていた他府県ナンバーの人はこの道の細さに恐る恐るといったかんじでと通っていかれました。やはり八つ墓村の探索には單車が最高でございます。

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 多治見家廟所でございます。
多治見久弥(山崎努)さんの埋葬が行われました。久野医師(藤岡琢也)の診断では自然死でしたが、金田一耕助さんの進言により、岡山県警の水入り物言いがはいりました。
 たいへん印象的な場所ですが、お墓でありますので中に入ることは遠慮させていただきました。「八つ墓村」の撮影ではお棺を納める穴まで掘っていたので、礼を尽くさせていただいた上で入らせていただいても良かったかなと思っております。
(注:多治見家廟所は「八つ墓村」の劇中でのお話です。)

2011年9月20日 (火)

八つ墓村遥かなり ・ たいやよ、あれが八つ墓村の灯だ。第六集

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 高梁市松原大津寄の「有限会社もりもと」さま、店主のおばあちゃんに教えてもらった道を多治見家へと急ぎます。
 すこし前に「オトコの旅路は地獄道よ〜、風が吹けば桶屋が儲かる〜」などと適当な歌を二輪車乗車用安全帽の中で口ずさみながら走っています、などとふざけたわけたことを書いていますが、実際によく歌うのは李 玟(CoCo Lee)さんの「月光愛人(ゆえぐぁんあいれん、みたいな発音)」と陳 慧琳(Kelly Chen)さん「情不自禁(ちんぶ〜づ〜じん、みたいな発音)」です。
 カラオケで英語で「マイウェイ」を歌うおやじの如きいやらしさですが、人前で歌ったりはしないので許して下さい。ちなみに「月光愛人」は映画「グリーン・ディスティニー(臥虎蔵龍)」の主題歌で、「情不自禁」は宇多田ヒカルさんの「オートマチック」の中国語カバーで、李 玟(り〜うぇん、みたいな)さんも陳 慧琳(ちぇんふいりん、みたいな)さんも香港の方です。

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 多治見家です。單車で山坂道を走ってきてあるカーブを抜けて山肌に張り付いたこの建物が現れた時にはやはり息をのみました。
 この玄関の坂に佇む多治見春代さん(山本陽子)の美しさを何にたとえことができますでしょうか。春代さん以上にこの場所が似合う人は日本中探しても他にいません。
 多治見家と表記されるのは’77年の松竹映画「八つ墓村」においてのみで、原作やその他の映像作品では田治見家となっております。この場所を訪れブログなどに書いている人の中にもこの区別のついていない人が多く、「まだまだ若いのぅ」と嘆息せざるを得ません。
 (注:多治見家は劇中の話で、このお屋敷は広兼邸といいます。)

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 多治見家から見た山林の様子です。
 多治見家は先祖がこの地に流れてきた尼子一族の落ち武者8人を騙し討ちしてその首を毛利に差し出し、恩賞としてこの地の土地山林の権利を所有することとなりました。
 西屋の美也子(小川眞由美)さんがいてくだされば「この山とあの山とその山、見えないずっと先の山まですべて多治見家の土地。」と説明くださるでしょう。
 この時に美也子さんが、「あ、あの山だけはすこし前に多治見家が寄付したので今は村の共有財産」みたいな事を言われるのですが、後に村人の台詞からその山は20年前の多治見要蔵による32人殺しの補償の意味で寄付されたことがわかります。
 (注:八つ墓村は劇中のお話で、ここは高梁市です。広兼邸は現在高梁市に寄付され一般公開されていますが、当然補償の意味で寄付されたわけではありません。)

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 茶室で小梅・小竹の双子の婆さんと対面いたしました。
子宮筋腫で子供が産めなくなった春代さんを欠陥品のようになじり、夫と死に別れた西屋の美也子さんに対しても「家に帰っても誰もあんたを待っとる者はおりわせん、」と嘲笑する小梅・小竹婆さんです。私も涙目になるほどぼろくそになじられました。
 (注:妄想です。「八つ墓村」で広兼邸の撮影は玄関のみ使用され、内部は撮影所のセットが使われたのだそうです。)

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 松竹映画「八つ墓村」では親族紹介の時に村の洞窟を観光地にしようと辰弥さんにもちかける新見の方で運送業をやっているヒトの演技が神でした。本当にああいうヒトいそうです。ただし小梅・小竹婆さんに「あげぇな穴ぽこ銭になどなりゃせん」と一蹴されておりましたが。
 ひととおり見て回りましたが係の人に「辰弥さんのお母さんの鶴子さんが幽閉されていた座敷牢と、洞窟に通じる隠し通路を見せて下さい。」というと、その人は一瞬理解出来ない、といったふうになったあとに軽蔑という名の卵を呑み込んだ蛇のような表情で「そんなものはないです。」と言ったのでこちらも少々気分を害して無表情にそのヒトの目を見て「この村の奴らは誰も本当のことを言わない。」と言ったので剣呑な空気が流れました、というのはもちろんうそです、ごめんなさい。
 (注:「この村の奴らは誰も本当のことを言わない」は辰弥(萩原健一)さんの台詞です。係の人のことをうそで悪く書いてしまいましたが、そのようなことはまったくありません。)

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 この部分の道は一般道です。撮影中軽トラで通りかかられたお爺さん、悪いのはこちらなのに笑顔で頭を下げて下さって本当にすみませんでした。
 單車でしたらかろうじてこの場所に止めて撮影することが出来ますが、地元の方や一般の観光客の方の迷惑にならないようにお願いします。

2011年9月19日 (月)

柴犬冩眞帳〜弐阡七年拾月弐拾四日(2007.10.24)

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Contax G2 / Planar 35mm f2.0 / こまいぬカラー200

八つ墓村遥かなり ・ たいやよ、あれが八つ墓村の灯だ。第五集

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 「八つ墓村」のつどいのお店です。
 嗚呼、映画では商店兼簡易郵便局でございまして、DVDの特典映像のロケ地紹介ではまだ撮影時の原形をとどめておりますが、現在ではリフォーム済みとなっているようです。
 西屋の美也子(小川眞由美)さんに連れられて備中神代の駅から車で多治見家へ向かう寺田辰弥(萩原健一)さんが、はじめて村人と接近遭遇する場所であり、金田一耕助(渥美清)さんから父親が32人殺しの多治見要蔵ではないことを告げられる場所です。
 映画公開当時に電視放送の宣伝に使われて流行した「たたりじゃ〜、八つ墓村のたたじじゃ〜、」という台詞、濃茶の尼というヒトはおもにこの場所で叫んでおりました。

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 「八つ墓村」ではリア充のお若ぇ衆のつどうお店となっておりますが、現在お店の方はたたまれたようです。このもと店舗のところにたぶん黒柴のわんわんおがいらしてはげしくほえられましたが、お家の方がなだめて奥に連れて行って下さったようで、どうもすみませんでした。ちなみに劇中で「土田商店」の看板が何度か読み取れますが、当時の現実世界での看板をそのまま使っております。

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 右のすこし広くなっているところに撮影用のバス停の小屋が立てられておりました。
バス停は終点の折り返し点の設定となっておりました。出来ることならこの場所は夕暮れ時に訪れたいものです。

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 西屋の美也子さんと寺田辰弥さんの乗った車はこの奥の方からやってきました。
多治見家をめざしているのですが、現実には多治見家(弘兼邸)はこの奥の方にありすこし混乱してしまいました。
 新井巡査というそうですが下條アトムさんが詰めておられる交番もこのちょこっと先にある設定となっています。
 交番の前で2人が乗る車につばを吐いた牛を牽いていたおじさんは、後の台詞で32人殺しの時にもらって3ヶ月にもならない新妻を惨殺されていたことが明らかになります。
 「たたりじゃ〜」の濃茶の尼のヒトも劇中ではわかりませんが、事件の時に旦那と子供さんが犠牲になっているのだそうです。ただの気が違った人にしか見えないのでこのへんの描写はあった方が良かったのではないかと思います。

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 「八つ墓村」つどいのお店の先のY字路を右に山坂道を上っていくと「有限会社もりもと」さまの角に出ます。
 「有限会社もりもと」さまには前回も寄らせていただいております。前回山坂道をあと500mばかり下っていれば「八つ墓村」つどいのお店にたどり着けていたようです。

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 「有限会社もりもと」さまは食品衛生指導員の店として信頼出来ますことをステッカーが輝かしく保証いたしております。安心して菓子パンと缶詰珈琲をいただき、店主のおばあちゃんと話しながら頂きました。
 このひたすらに誠実な「アイス」「クリーム」の文字、日本人のココロに沁み入ります。
場所は高梁市松原大津寄、松原小学校や高梁松原郵便局の近くです。近くに行く人はよって見て下さい。

2011年9月17日 (土)

八つ墓村遥かなり ・ たいやよ、あれが八つ墓村の灯だ。第四集

 松竹映画「八つ墓村」の百日のお宮参りの神社、三座神社さまにおいとまを頂き、
「オトコの旅路は地獄道よ〜、風が吹けば桶屋が儲かる〜」などと適当な歌を二輪車乗車用安全帽の中で口ずさみながら次の目的地を目指します。
 忍法カムイ外伝の終わりの歌の中に「風がカムイの影を斬る」とか超かっちょいい文言があったのを思い出したりしながら。

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 この前もおじゃまいたした国鉄伯備線方谷駅にてしばしの憩いをとらせていただきます。
 方谷と書いて「ほうこく」と読みます。ほうこく、ほうこく、駅はほうこく、などとたわけたことをほざいたところで、お若ぇ衆もわたしと同世代の方でさえその昔「ホートク、ホートク、椅子はホートク、」と軽やかに歌い上げたテレビコマーシャルがあったことなど忘れておられるのではないでしょうか?

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 国鉄伯備線方谷駅、清く貧しく美しい日本の正しい駅です。
 私は京都府の福知山市というところに住まわさせていただいておりますが、かつては国鉄山陰本線で京都まで、あるいは同福知山線で大阪までの間にこのような正しい佇まいの駅がたくさんございましたが今はほとんど残っておりません。
 国鉄山陰本線の下夜久野駅などはかつてはこちらの駅のような心優しき佇まいの駅でございましたが、今は駅ビルがDQNのヒトが好んで乗るようなクルマの販売店となっており、なんだかしみじみとあさましきかな、などとつぶやきたくなります。

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 方谷の駅名は山田方谷という方の名から命名された由、銘記されております。
現在の駅構内の位置にお屋敷があり、先ほどお参りさせていただきましたところの三座神社さまの近くの出の方なのだそうです。
 後の長岡藩家老河井継之助も山田方谷さんに教えを請いにこの地を訪れたそうです。

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 松竹映画「八つ墓村」にはひとつ手前の備中川面付近を走るキハ型気動車が映されております。「いくら」とはどのような漢字を用いて表記するのかが気になります。

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 私がこの駅に着いた時になんだかこそこそと逃げ隠れるようにプラットホームにあがっていった、恐らく「撮り鉄」の方がいらしたのですが、距離をとったホームの上からガン見でこちらの様子をうかがっておられたので若干気分を害し、「よひょ〜」とか奇声を発しつつ急速接近してやろうかなどと妄想いたしました。

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 丸山しげきさんが政界に進出しておられます。こちらで後援会に連絡を取っていただけます。
また、のどの渇きには「もりわき」さま前の缶詰飲料自動販売機がたいへん有り難いです。私自身はコカ・コーラのジョージア缶詰珈琲を好みませんが、背に腹は代えられず特例措置で頂きました。

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 控えめながら美しい意匠が凝らされております。現代の建築家など目くそ鼻くそな奴原にすぎぬのだわ、という気になります。奴原とはやつばらと読んで、奴の複数形です。

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 正式には出札所というらしいのですが、方谷駅にはきっぷうりばがございまして人が詰めておられましたので、昔懐かしい硬券の入場券があるのかな?と思い立ち購入いたしましたが、列車の中で車掌さんが使っているような機械を使って、このようなきっぷでございました。昭和も遠くなりにけりでございます。

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 河井継之助がこの地を去る時に深く深くお辞儀をしたという話が残っておりますので、私もそれに習わせていただきます。

 

2011年9月16日 (金)

八つ墓村遥かなり ・ たいやよ、あれが八つ墓村の灯だ。第三集

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加藤嘉さん演じる井川丑松じっちゃんのおうちの離れ(納屋?)と奥に見える三座神社さまです。「八つ墓村」撮影時には藁葺き屋根だった母屋は瓦屋根の新築に立て替えられていました。納屋もリフォームされていますが原形を保っています。
 神戸の諏訪弁護士(大滝秀治)の事務所で孫の寺田辰弥(萩原健一)と再会をはたした直後に、八つ墓村連続殺人事件の第一の犠牲者になってしまうのが井川丑松さんです。
 硝酸ストリキニーネによる毒殺です。硝酸ストリキニーネ、藤原新也さんの「東京漂流」最終章の、東京最後の野犬・有明フェリータの章で出てきたものと同じだと思います。調べてみると現代に至るまでいろいろな犯罪で使われているようですがそちらは割愛いたします。
 井川丑松じっちゃんのお葬式の列はこの庭のところをくるっと一回りしてから出発いたしました。電柱が邪魔ですがほとんど「八つ墓村」当時のままです。ただ休耕田が増えているようですね。
 また、奥に見える三座神社さまの石段が木の枝に埋もれてほとんど見えなくなってしまっています。
 神社のふもとに火の見櫓のようなものもありましたが、あれは恐らく撮影用にしつらえたものだと思います。

 渥美清さん演じる金田一耕助から「あなたのお父さんは32人殺しの多治見要蔵じゃあない、それだけは確かです。」と告げられてきた寺田辰弥(萩原健一)に、井川勘治(井川比佐志)が、丑松じっちゃんから聞いた百日のお宮参りの時の話をするのがこの納屋の裏の斜面です。

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 三座神社さまの鳥居のあたりから見た井川丑松邸です(画面中央少し右が納屋、その右が母屋)。
 吉田戦車さんの「伝染るんです」に「距離」の道楽にふける八百屋さんの店主、っていう話があったのですが、「八つ墓村」屈指の美しいシーン、百日のお宮参りの場面は理不尽な暴力に寄って引き裂かれてしまった鶴子と丑松とのこの「距離」が悲しくも切なく、また美しいです。
 加藤嘉さん演じる井川丑松じっちゃんの渾身の長台詞と、芥川也寸志作曲「八つ墓村メインタイトル」のアレンジ曲「お宮参り」が悲しさと切なさとをたたえながら未来への希望をいやまします。
 このシーンが無ければたぶん私は「八つ墓村」をそれほど気に入りはしなかったと思います。

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 産まれて百日の辰弥を抱いて神社の石段を上っていく鶴子さんは中ほどで自分の実家を振り返り、父親の丑松じっちゃんと工藤校長を認めるのですが、現在は両脇の木が生長著しく視界を完全に閉ざしております。

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 井川邸のうしろの道で、庭をくるりとひとまわりした行列がお墓まで歩いていく道です。
「八つ墓村」当時も舗装はされていますが、現在は拡幅されて立派な道になっております。
 男カワサキのライムグリーンがお葬式の色だと申しますのは欧米においてでしょうか。
中華圏では白色がお葬式の時の色彩ですが、お葬式の列で井川家縁者の方が白装飾を身に纏っておられるのは演出なのでしょうか。それとも日本でもそういう風習があるものなのでしょうか。

2011年9月15日 (木)

八つ墓村遥かなり ・ たいやよ、あれが八つ墓村の灯だ。續集

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 松竹映画「八つ墓村」で、鶴子さん(中野良子)が辰弥くんの百日のお宮参りに来られた神社です。

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自宅からこちらまで231.8kmでございました。

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 高梁市中井町の三座神社さまです。
『言い伝えによると、高梁市中井町柴倉の三座神社は、玄賓僧都が当地へ巡錫(じゅんじゃく)した時,森の間から霊光を発しているのを不思議に思い、ここに草庵を造り、一小祠を設け、本地仏を安置したのに始まったと言われている。』のだそうです。

 「八つ墓村」の撮影時には鳥居は木製のものだったようです。少し下の方にある石柱もまだ建っていなかったようです。

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 石段は意外に高さがあって、着物姿で赤児を抱いておられる中野良子さんは大変であったことが想像できます。
 私は長らくこの赤児の人が吉岡秀隆さんなのだと勘違いをしておりました。吉岡秀隆さんはこの赤児の人がもうすこし成長したあと、辰弥くんの少年時代を演じておられます。

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 徒然草第五十二段、仁和寺にある法師、年寄るまで岩清水を拝まざりければ〜の段を高校の古典の授業で習ってココロに残っておりますので、スキなく見て回っております。
 今の時代、ネットを通じて何でも知ることができるのですが、三座神社さまのご祭神さまは不思議とヒットいたしません。ご存知の方がいらしたらどうかひとつよろしくお願いします。

 渥美清さんが演じる金田一耕助が「あぁ、今日が宵宮で明日が本祭りかぁ、残念だなぁ、楽しみにしてたのに。」とおっしゃって、寺田辰弥さんと西屋の美也子さんが出かけられた神社はこちらとは別の神社です。

2011年9月13日 (火)

八つ墓村遥かなり〜たいやよ、あれが八つ墓村の灯だ。

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 時に2011年8月28日、前回は国道429号線でしたが今回は中国自動車道で八つ墓村をめざしております。
鈴木式織機製作所謹製外道單車DR-Z400Sで高速道路を走っても全然楽しくないです。忍の一文字です。気持ちの上では押していながらそこを忍ぶ、それが押忍の精神であると「空手バカ一代」で大山倍達先生が語っておられました。
 振動の我慢出来る90km/hあたりでひたすら巡航していたのですが、軽自動車の皆様にも追い抜かれまくってました。

 写真は美作追分のPAだと思うのですが、後方は奥様と複座で單車旅をされている超絶リア充のおじさまおばさま方です。
 私はいまだに高速道路の單車複座走行に違和感があって、そういう方とすれ違う時に一瞬「あれ?」とか思ってしまうことがあります。
 高校生の時に現代国語の教科書に題や作者は忘れてしまったのですが、戦前の軍国主義の時代にはそれに反発を感じていたずらとかささやかな反抗をしていた人が、戦後になて声だかに自由が叫ばれ皆がそれを謳歌している中で、その風潮にも馴染めずにいる人のお話がありましたが、それに近いものがある・・・かどうかはわかりませんね。
 誰かこのお話の表題と作者を知っている方がいらしたら教えて下さい。

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 美作追分のPAでこれからの道を再確認しておこうと思ったら、岡山県は通り越して広島県の地図でした。
 「歓迎来広島(ふぁんいんらいぐあんだお、みたいな発音)」と言われましたが広島には行きません。ハングル文字にはよぼせよとかあんにょんはせよとかまんせーとか書いてあるのでしょうか?

 八つ墓村へは「北房」で降りるのが良いようなのですが、私はこの「北房」を現地の道路標識のローマ字を見るまで「きたふさ」だと思っておりました。「ほくぼう」が正しいようです。
 「乳房」を「ちぶさ」と読んだり「にゅうぼう」と読んだりあるいは「おっぱい」と読むのと同じですね。
 「乳房」、鬼平犯科帳が大好きなので池波正太郎さんのは読みましたが、伊集院静さんのは未読で申し訳ないです。意外ですが伊集院静さんの名前は「はいからさんが通る」の伊集院少尉の名前からとって命名されたそうです。
 話が少しそれましたが、するとこれから目指す「高梁(市)」は私が「たかはし」だと思い込んでいるだけで本当は「こーりゃん」なのではないかと思ったりもしました。
 私の中で後になるほど「良さ」がいや増してきた「八つ墓村」と違って、後になって「良さ」が若干薄れた感じがしないでもないのですがチャン・イーモウ(張 芸謀)監督の中国映画「紅いコーリャン(紅高粱)」は、公開当時黒船来航級の衝撃がありました。
 莫 言(ばくげん・も〜いぇん、みたいな発音)さんの同名の小説が原作です。高粱(こーりゃん)は中国北方で栽培されるもろこしみたいなものでお酒の原料にしたりする農作物らしいのですが、「紅」は中華人民共和国の色であり婚礼などおめでたい時の色であり、また劇中では血の色であり夕日の色であり、これはちょっと中国人以外の人にはなかなか理解できないニュアンスがあるのではないでしょうか?
 んなわけで、岩波文庫の「紅高粱」邦訳版のタイトルが「紅い」ではなく「赤いコーリャン」になっているのは、多分翻訳者がどうせこいつらにゃわからんだろうと読者をなめてかかっているのではないだろうかと邪推いたしております。

 私は今は観てないけど「めちゃイケ」に出ている光浦さんが好きなのですが、光浦さんに少し似ている北房インター料金所の素敵なお嬢さんに、高梁市(あたりまえですが「たかはし」が正しかったです。)への道筋を教えていただいて、そちらを目指しました。

2011年9月12日 (月)

「ゆるゆり」の聖地いってきたよ

 すみません、実はタイトルぐらいしか知らないのですが「ゆるゆり」というアニメで京都府舞鶴市の「ふじつ温泉」が出てきたらしいのです。修学旅行の宿泊先だそうです。
 今日敦賀方面から国道27号線で帰ってきたので、本当は高浜から府道1号線で綾部に抜けた方が早いし走りやすいのですが、ふじつ温泉はやってるのかな?はやってるのかな?たのしい催し物とかもりだくさんかな?もりだくさんかな?と思って寄ってきました。

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 ごめんなさい、ネット上でいただきました。これが「ゆるゆり」に出てきた旅館だそうです。

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 まったりとお湯につかって帰ってもいいと思っていたのですが、入り口前にバリケードのように車が・・・。看板は点灯しているしフロントに人もいるみたいなので営業中だとは思うのですが、この入り口の車以外に停まっている車が1台も無いのでなんとなく気後れして直帰いたしました。
 突しとけば良かったと、今になって後悔いたしております。

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 「ふじつ温泉」の前に寄らせていただいた国鉄小浜線松尾寺驛のぬこ駅長さまです。人格者であらせられます、というか聖人君子のようなたたずまいのぬこさまでした。

2011年9月 9日 (金)

八つ墓村流浪單車記〜遥かなる八つ墓村 ・ 第二次中国山地打通作戦発動の前に謹んで誤謬を訂正させていただくこと

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(誤)

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(正)

 すみません。前々回使った写真の日付が間違っていました。
八月十七日は惨憺たる結果に終わった第一次中国山地打通作戦の日で、八つ墓村で「東屋」と呼ばれておりますところの多治見家には到達しておりません。この場合の「東屋」は「ひがしや」と読んで「あずまや」と読むのは誤りです。
 森姓の多治見家分家のお屋敷が「西屋」と呼ばれております。

2011年9月 8日 (木)

八つ墓村流浪單車記〜遥かなる八つ墓村 ・ 第二次中国山地打通作戦発動の詔勅が下ること

 昨日までここに書き散らかしたようなことを職場などでおもしろおかしく話したりしておりますとわりと面白がっていただけたりしたのですが、内心は鬱々として楽しまず、やはり「そうだ、京都へは府民なのであんまり行きたくないけど八つ墓村へ行こう」と思い、第二次中国山地打通作戦を発動いたしました。

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 鈴木式織機製作所謹製外道單車DR-Z400Sの通常エアクリーナーと呼び習わせられております空気清浄機濾過装置を交換いたします。
 右側が約9ヶ月間6,500km使用しました濾過装置で思った以上の汚れでございました。
 左側が新品で私はNo-toil(ノートイル)製を使用しております。TwinAir製のものの方がスポンジの品質はいいような気がしますが、エアクリーナーボックスとの合わせ面になります折り返し部分の面積が広すぎて、断裁しなければ吸気効率の妨げとなりそうなのでNo-toil製を使用しております。塗布いたしますオイルはスプレー式のTwinAir製です。
 職場でかかっております極超短波放送(FMラジオ)でお昼の通販番組でよく「20代の頃のぷりっぷりっのバストが甦るサプリがなんたらかんたら」などと申しておりますが、左側の新品エアフィルターが「20代の頃のぷりっぷりっのバスト」だとすると、右側の使い古しは内側から吸われまくってサイズダウンしております。カップひとつ分くらいでしょうか?

 いにしえよりあまねくすべてのおっぱいは万物平等の天の摂理の下にひとしくおっぱいがいっぱいでございましたが、戦後南蛮より渡来いたしましたブラジャーと呼び習わせられております乳バンドによってAとかBとかCとか差別化されるような事態となり現在に至っております。
 我が神州日本におきましてはAとかBとかCとかの寸法の規格は日本工業規格(JIS)によって定められており、トップバストとアンダーバストの差が2.5cmきざみで昇格、あるいは降格していく印度のカースト制の如き身分制度が厳格に存在しております。
 だがしかしAカップといえどもトップバストとアンダーバストの差は10cmありますのでおまえらあんまりなめんなよ(キリッ)、と思います。

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 エアクリーナーボックスとの合わせ面にはグリスを塗布することを忘れてはいけません。

2011年9月 7日 (水)

八つ墓村流浪單車記〜遥かなる八つ墓村 ・ 中国山地打通作戦の破綻と頓挫篇 ・ 完結編

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 結局、鶴子さんが辰弥くんの百日のお宮参りに行かれた神社も見つけることができませんでした。
 ちょっとへこんだ帰り道でしたが、道中津山市街の国道53号線と429号線の交差点の信号待ちで長い時間待たされている間に、天有不測風雲またたくまに烏雲密布、天色冥暗となりほとんどゲリラ豪雨の夕立に遭いました。合羽や蓑笠などの雨具は携帯しておりませんのでむっちゃセクシーな艶姿で家路を急ぎました。
 津山市をぬけてしばらくすると雨は上がったのですが、往路も津山駅前付近で夕立にあったことを考えると、八つ墓明神さまはお怒りなのかもしれません。8月17日に津山市で昼頃と夕方に夕立があったのは私が八つ墓明神さまの怒りに触れたからかも知れませんので、誠にもって相済みませんでした。

 どこかの峠で黒ラブわんわんおをとお散歩している方がおられて、わんわんおに手を振ったことや、どこかのバス停でお母さんと一緒だった幼女の人に手を振ったのとか断片的な記憶はあるのですが、写真を撮ったりする心理的な余裕は一切なかったので帰路の写真は全くありません。
 っていうか、うちんちの近くの夜久野ドライブインまで一切單車から降りていません。
うちにつくと偶然にも今日一日の走行距離がちょうど600.0kmとなっておりました。

 ここのところずっと「多治見家(とこのオトコが思い込んでいる広兼邸)」の写真がトップに使われてるのにおかしいんじゃね?と思った方、さらなる續篇をお待ちください。

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2011年9月 6日 (火)

八つ墓村流浪單車記〜遥かなる八つ墓村 ・ 中国山地打通作戦の破綻と頓挫篇 ・ 第5集

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 八つ墓村の多くの部分が最近の市町村合併によって高梁市に組み込まれました。
そしてついにその高梁市にまでたどり着きました。国道429号線とは途中の吉備中央町だったかいうところで分かれて県道31号線だかで高梁入りしております。

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 じつは多治見家(とこのオトコが思い込んでいる広兼邸)への道のりを消失いたし意気消沈披露困憊のうちに、有限会社もりもとさまにて缶詰の珈琲をいただいております。探査目標を多治見家から村人たちがつどうバス終点の商店に切り替えましたがこちらも結果は聞かないでおいて下さい。
 騎馬軍団の如くに集団で單車旅をされている中で頭領株の方の計画力や状況判断力などはきっと刮目するに値するものがあるのでしょう。「道間違えたから戻るよ」とかあんまり言いませんものね。うなだれつつ「すまなかった・・・」とつぶやきました。

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 多治見家と村人たちのつどいをあきらめてあらたに鶴子さんが辰弥くんの百日のお宮参りに行かれた神社をめざします。
 高梁市市街から国道180号線を北上していきますと備中松山城こっち!の看板がありました。おさるの羽柴秀吉公が水攻めをなさったお城です・・・っていうか完全に山城なんですけどどのくらいの規模の土木工事が施されたのでしょうか。
 すぐそばの高梁川の水を利用したのは間違いないと思うのですが。
 
 子供の頃にお世話になった小児科の待合室にD51かなんかの蒸気機関車の二重連だったか三重連だったかの編成が「高梁川第2橋梁」と書かれた橋をわたっている白黒の写真が飾ってあったのですが(ちょっと記憶力すごくね?)、高梁川第2橋梁も国道から見えるところにありました。

 「八つ墓村」では西屋の美也子さんと辰弥さんの乗っている気動車をこのあたりで撮影して「川面付近」とテロップが出ておりますが、備中川面のつぎの駅の方谷(ほうこく)駅です。
 じつに愛おしい正しく心優しい「驛」です。国の登録有形文化財に指定されているというのも宜なるかなです。
 私は知らなかったのですが「山田方谷」という幕末の人のお屋敷がすぐ近辺にあったそうで、長岡藩家老河井継之助が教えを請いにくるほどの人だったそうです。

 他に高梁市出身の方としては老中板勝清(幕末の小説によく出てくる人ですが何をしたかは憶えていません。)、シベリア超特急水野晴雄さん、ボヘミアン葛城ユキさん、ドーベルマン刑事平松伸二さんなんかがいらっしゃるようです。

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 「妖怪人間ベム」ではベム・ベラ・ベロの3人がある町にやってくるとそこは廃墟のようで人っ子ひとりおらず無数のカラスだけが蝟集しておったとか、ある村にやってくると長いお葬式の列にでくわすだとか、なんだか不気味なかんじを演出するのがたいへんに上手でした。
 辰弥くんの百日のお宮参りの神社も見つからず走り回っております。

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 杉本酒店さまです。地酒櫻芳烈とヤマサ醤油のお買い求めはこちらでどうぞ。
杉本酒店さま愛しております。しかし私が見たかったのはこれじゃないのこれじゃないロボです。

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 きみ美容室さまです。成人式やご婚礼の着付け、髪結いなどはきみ美容室さまをおすすめします。左の動脈の赤と静脈の青を図案化したといわれております理容室のしるしはちゃんと回転しておりました。
 きみ美容室さま愛しております。しかし私が見たかったのはこれじゃないのこれじゃないロボです。

2011年9月 5日 (月)

八つ墓村流浪單車記〜遥かなる八つ墓村 ・ 中国山地打通作戦の破綻と頓挫篇 ・ 第4集

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 藤原新也さんが著書「全東洋街道」のなかで「旅の氷点」というようなことを書いておられたと思います。旅で知らない土地に来て、当初は気分が高揚して見聞きするものすべてにココロ踊るのですが、ある瞬間から感覚が閉ざされてしまったかのように何も感じなくなってしまうことがある、とそのような話であったと思います。
 岡山県美作市後山の春名商店さまで缶詰の珈琲飲料をいただいたあと走り始めてしばらくしてから、宮本武蔵生誕地とあったあたりを過ぎた頃から「旅の氷点」状態で惰性で走っていたかも知れません。

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 岡山県津山市街中心地まできたところで一天俄にかき曇り、風雲急を告げ暗雲たれこめ斯くの如きていたらくと相成りました。
 この2日前に私が蟄居いたしております京都府福知山市では町衆皆が楽しみにしておりました花火大会があったのですが、どえらい夕立にたたられて閑散としておりましたのを「リア充ざまぁwww」などと考えておりましたので天罰が下ったのでございましょう。天網恢々粗にして漏らさずでございます。「てんもうかいかいそにしてもらさず」と読んで、天の網は目が粗くて悪人を取り逃がしているように見えるが決してそうでは無い、という意味です。
 たまたまいいタイミングで津山城跡前の津山観光センターさまに駆け込むことができました。合羽や蓑笠等の雨具は一切持ちあわせておりません。
 ちなみに岡山県津山市はオダギリジョーさんとかB'zの稲葉浩志さんとかの超絶イケメンの人とか、次長課長河本さんとかのキャラ立ちの人とかを輩出しております。作家さんですと重松清さんとか。
 雨はしばらくして上がりました。

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 旭町農協農業倉庫さまです。「米をよこせ」と襲撃されたことが過去にあったかどうかは存じておりません。
 ひさしく「国道429号線」の標識を見なかったため不安に駆られて地図を確認しております。間違ってはおりませんでした。
 ここからすこし先の方で、制限速度+10km/hくらいで流しておりますと、福山ナンバーのBMW R1200GSにものすごい速度差でわざと車間は取らずに翳めるようにして追い抜かれました。單車は超一流なれども其の振る舞い人品骨柄下司外道餓鬼畜生の所行也。
 福山ナンバーのBMW R1200GSのオトコにはハッサン・カンの呪いをかけておきました。ハッサン・カンの呪いというのは、芥川龍之介の短編「魔術」の中に「ハッサン・カンの魔術」というのがでてきます。

2011年9月 4日 (日)

八つ墓村流浪單車記〜遥かなる八つ墓村 ・ 中国山地打通作戦の破綻と頓挫篇 ・ 第3集

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 国道429号線を西播磨にございます兵庫県宍粟市、旧宍粟郡の一宮町を出て波賀町越えて、駒を早めて千種町に入り、こうして三町をだんご三兄弟のようにして走り抜けてはたまた峠を越えたところで兵庫県を完全に横断、岡山県に入りました。

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 兵庫岡山県境の峠を下ったところにございます春名商店さまです。
こちらでも缶詰の珈琲飲料をありがたくおしいただき、持参の森永製菓製造ミルクキャラメルを一粒ほおばりました。
 私はあまり「食」に興味が無いものでございまして、単独ツーリングなどの場合一切食事はとらず森永製菓製造ミルクキャラメルと缶詰珈琲のみで活動することが常でございます。

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 岡山県美作市後山というところだそうです。
バスが終点で折り返すところにある商店というのは、松竹映画「八つ墓村」に出てきた村人たちがつどう商店の様でよいものですね。

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 岡山県美作市後山にございます春名商店さま、日本専売公社岡山地方局指定塩小売店(旧字に変換出来ないのが残念です)であり、美作たばこ販売協同組合さまおよび岡山県酒類正常取引協議会さまのもと、正常な取引にて商品を流通してくださいます。
 昔学校で習った三公社五現業ですね。
 「酒類は現金」、ビール券などができる前のことなのでしょうが、現金以外の何で酒類を「異常取引」しようとしていた人がいたのかが気になります。
 しかし「美作たばこ販売協同組合」のほうの看板の「たばこ」の文字デザインは神ですね。こんなココロ踊る書体はそうあるものではないです。

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 岡山県と申しますと作家・岩井志麻子女史の存在がすぐに思い起こされるのですが、当家の犬公方・柴犬こう太さんも岡山県の出身です。
 血統書によると柴犬こう太さんは幼名を「三郎」と申し、岡山県苫田郡の出身である由記載されております。
 岡山県苫田郡、「八つ墓村」のモデルとなった事件のあったところで、現場であったK町でこそなかったものの柴犬こう太さんはそこで生を受けたようでございました。

2011年9月 3日 (土)

八つ墓村流浪單車記〜遥かなる八つ墓村 ・ 中国山地打通作戦の破綻と頓挫篇 ・ 續集

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 兵庫県朝来市の神子畑というところからまたひとつ峠を越えました。
暴走とかローリングとか対策だと思うのですがすべてのカーブの手前に外道單車(オフロードバイク)の緩衝装置(サスペンション)でも突き上げを吸収出来ないほどのアスファルトの盛り上げが造作してあって、これはちょっと單車には危険なほどでした。
 兵庫県警はものごとの加減というものを知るべきでしょう。

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 宍粟市一宮町のなまりや太田商店さまです。電気式自動販売機より缶詰の珈琲飲料を購入いたし、美味しくいただきました。
 他に持参いたした森永製菓製造ミルクキャラメルを一粒いただき先を急ぐことにいたしました。

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 国道429号線もまた「酷道」と呼ばれるヒドい道であることは存じておりましたがさすがにこれは道を間違えたようです。分岐に戻って違う方へ進むとまた斯くの如し。

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 旅立つ前に母上が話してくれました。母上がロリ少女だった頃のお話を。
当時丹波国福知山駅前より氷上郡青垣町佐治まで国道429号線経由で路線バスが走っていたらしく、ロリ少女の母上は親戚の家に行くのにロリ少女ひとりで(ロリ少女ひつこいので以下自粛)このバスに乗ったのですが、途中の榎峠越えがあまりにも心細くて精神的外傷を負いPTSDを患ったと。
 国道429号線、親子二代に祟ります。
 どうやら道路標識にしたがって右折したもののそれが一本早くてかくなるていたらくと相成った次第でござるようです。
 私と同時に原付二種スクーターでツーリングっぽい人もこの2本の道にはまりこんでいたので、ちょっと道路標識の表示が不親切だったのでしょう。

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 道を違えた焦燥にさきほどなまりや太田商店さまでいただいた缶詰の珈琲の良さが薄れてしまったので、この地の湧き水をいただきました。有り難きしあわせ。
 もと来た道を戻って国道429号線に出ましたが、さきほどのなまりや太田商店さまの前で一時停止した時に、「あっ、ここはもとの村ではないか」とつげ義春さんの「ねじ式」の台詞をつぶやくことを忘れませんでした。

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 めげずに西をめざし高野峠というまたちょっとすごい峠を越えて宍粟市波賀町に至りました。宍粟市はちょっと前まで宍粟郡だったのですが「しそう」市または郡と読みます。「あなくり」とかちょっとエッチっぽい読み方をしては行けません。
 国道429号線は何箇所かで他の国道と共用のところがございましたが、そこんところでどちらに行けば国道429号線を継続利用できるのか表示してないのが不親切です。但馬生野でも同じでした。
 この国道29号線は別名「若桜街道」と申すようでございます。花もつぼみの若桜、あぁ紅の血は燃ゆる、でございますな。お若ぇ衆はご存じない、っていうか私の世代でも知ってる人はそういない学徒出陣の歌であります。

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 「わたしもう迷わない!」というのは少女漫画の定番の台詞らしいです。
 迷いたくないので地図で確認しておりますが、乗車用手袋の色使いがガーリーな感じなのはスルーしておいて下さい。
 地図は昔あった巨大な「マップル」が好きだったのですが今は無いようです。
持ち運びに便利な「ツーリングマップル」ってあんな小さくて損なかんじのはイヤです。

2011年9月 2日 (金)

八つ墓村流浪單車記〜遥かなる八つ墓村 ・ 中国山地打通作戦の破綻と頓挫篇

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 発作的に岡山県の八つ墓村にお邪魔することを思い立ちました。
調べてみると私の在住しております丹波福知山藩より美作津山藩まで、国道429号線がほとんど直線でつないでおることがわかりました。なんという打通作戦。
 この路線は劇中で金田一耕助によって語られる、落ち武者の大将・尼子義孝の身重の奥方が播磨三日月、播州生野、丹波篠山と落ち延びていった道すじともほぼ一致するようにも思われます。
 「八つ墓村」や横溝正史などがお好きな人はお気づきになったと思いますが、私がここで言っている「八つ墓村」は1977年の松竹映画で渥美清さんが金田一耕助の「八つ墓村」です。
 スルどい人は昨日のブログでこのお屋敷を「多治見家」と表記していることから周知のことであったかも知れません。原作はじめ他の作品では「田治見家」となっておりますカルトQ。

 時に2011年8月17日、鈴木式織機製作所謹製外道單車DR-Z400Sは遥かなる八つ墓村めざし旅立ちました。宇宙戦艦ヤマトみたいな言い回しですが人類の運命は背負っておりません、さーせん。
 国道429号線の終点となる福知山市を出発(起点は倉敷市らしいです)、榎峠、青垣峠と越えてまいりました。どちらも大型車通行困難、普通車のすれ違いも困難な道ですが、鈴木式織機製作所謹製外道單車DR-Z400Sには広東語で無問題、北京官話で没問題どころか水を得た魚のように走ります。

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 兵庫県朝来市にある神子畑選鉱場跡です。
何年か前にテレビニュースでここが閉鎖され解体されるというのを観たのですが、こんなに近くだったとは知りませんでした。山の斜面に異様な建物があってその規模が東洋一だったそうです・・・見ておきたかったです。
 金・銀を採出したのちに明延鉱山(兵庫県養父市)の選鉱場となったそうです。

次回予告編 ・ 八つ墓村流浪單車記

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 岡山県の八つ墓村にいってきたよ。本当は今は隣村と合併して八つ墓村じゃないんだけどね(注:劇中の話です)。写真は炎上して喪失後に再建された多治見家ですけど、多治見家っていっても誰にもわからなくて探すのに難儀しました(注:多治見家は劇中の話で正しくは広兼邸です)。

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